心を込めて生きる 超人的修行を遂げた大阿闍梨の生き方

読みました。気になるところを抜き出して、その感想を書きます。

心を込めて生きる 超人的修行を遂げた大阿闍梨の生き方

心を込めて生きる 超人的修行を遂げた大阿闍梨の生き方

 

 

引用メモ

しかし、後悔しても時間は後戻りしません。「私はだめだ」とふさぎ込んでも、答えなど出ません。それより、本当に悪かったと心から反省し、二度と同じ失敗を繰り返さないという深い懺悔のもと、あせらず、少しずつ薄皮をはがすように、よい方向へと努力して、与えられた環境の中で一歩一歩努力していくことが、大切な心であると思います。

学校や会社でも、今日という日に私たちがやらなければならない務めがあります。過去を振り返っても、後戻りはいたしません。常に心を明るくもち、前向きにチャレンジして、一つひとつ積み重ねていくことです。

そして、十年という時が流れて、自分自身を振り返ってみたときには、すでに三千六百五十個の徳が積み重なっていることになります。日々の努力というものは、とてもとても大切なものであると思います。

 お山を歩いているときに思いました。今、わからなくても、ただまっすぐに前を見つめて、日々のことをおろそかにしなければ、いずれ何か一つの光が見えてきます。今日一日という日をどう刻んでゆくか、今日の積み重ねが明日の人生を切り開きます。すべては、心から始まります。

今、元気がない人も、あせらず、ぼちぼち、「元気になるぞ」という心でいると、いつの日か、必ず笑えるときが来ます。その時に思うはずです。なんであんなにちっぽけなことで悩んでいたんだろうと…。

 

そのような場合は、考え方を転換させて、困難を鍛錬と思い、楽しむぐらいの気持ちでいるといいと思います。私は行に対する心構えとして、いったん行に入ると、どんなことがあっても絶対に文句を言わない、愚痴らないと決めていました。

どんなつらさも、過ぎてしまえばもう思い出です。

人生ってすばらしいと、そして、生きていてよかったと、心から思います。人は一人では成長しません。人に迷惑をかけ、またかけられて、磨き合って成長します。だから心が成長します。こう考えると、つらい人間関係は、自分の心を磨く砥石です。人生は何一つ無駄なしです。

ものすごく迷い苦しんで、どうしたらいいのかわからないぐらいに悩んで、悩んで修行していたときには、「一体いつになったら、晴れ晴れとしたすがすがしい気持ちになるんだろう」と思ったものです。

嵐がいつまでもその場にとどまらないように、また、やまない雨はないように、いつしか必ず晴れます。迷いの世界に心がとらわれているうちは、また心が曇ることもありますが、やがていつしか晴れ晴れとした心地のよい穏やかな世界へと、流れる時間とともに人は生まれ変わります。自己の向上を目指し、発心して、迷いの世界から第一歩を踏み出します。

 

正直に生きることは、とてもすばらしいことです。ずるがしこくて押しの強い人は、一時は成功しますが、その成功も十年、二十年と長続きはしないようです。必ず失速し、寂しい人生を歩んでしまうようです。「正直は一生の宝」と言って、正直者は人から信頼を得て幸せを手にする、と言われているように、心を正して、嘘偽りなく生きていかなければなりません。善なる行いをしたらよいことが返ってきて、悪い行いをしたら悪いことが返ってくるということです。

私が十九歳でお寺に修行に入ったときに、おじいちゃんお坊さんが、お茶を飲みながらいろいろな話をしてくれました。「人はみんな、心の修行のために、何度も生まれ変わってくるんだ。だから、ちゃんとせな、あかんで」

私たちはそれを「ふうん」と素直に納得しながら聞いていたものです。

 

人生というのは、よいことと悪いことが半分半分だと思います。人生の終着駅にたどり着いて、自分の人生を振り返ったときに、おそらく、よいことも悪いことも半分なのだと思います。

(中略)しかし、すべて足りると思った瞬間から、心が豊かになり、幸せにもなります。すべては心のありようによって決まってくるものです。

「まかぬ種は生えぬ」と言いますが、何かを得ようとするなら、それなりの努力が必要ということです。我欲の種ではなく、人のためになる種をたくさんまいて、回り回って知らないうちに、自然に、自分の心も潤っていれば、これが本当の幸せです。

決して強くなんかない、清くなんかない。ただそうありたいと願い続けているだけなんだ……寄り道回り道しながら、今日もぼちぼちと歩いています。

「人生というものは、自分の考え方や、とらえ方一つで、こんなにも感謝の心に変わるのか」

 

 初心には、謙虚さや素直さや情熱があります。修行にしても、仕事にしても、毎日同じことですと、つい慣れが出てしまいますが、いつも新鮮な気持ちと熱い情熱をもち、初心でもって人生の判断を続け、日常の振る舞い、言葉遣い、心配りを深めていくことです。

一人でいる時間の自分の立ち居振る舞いには、特に気を遣う努力をしていることです。立つ、座る、歩く、寝るなどの日常の行動は、みんなといるときよりちゃんとしていると思います。

 

過去を追うな、未来を願うな。過去は既に捨てられた。そして未来はまだやってこない。だから現在のことがらを、それがあるところにおいて観察し、揺らぐことなく、動ずることなく、よく見極めて実践せよ。ただ今日なすべきことを熱心になせ。

答えを手にしようと思っても、蜃気楼を手にしようとしているのと同じことです。遠くはるかかなたに答えを求めるより、今をどのように生きるかということが、大切な心だと思います。

今の自分が幸せと思った瞬間から、幸せが始まります。すべてにとらわれることなく、いい意味で心明るく、心楽しく今を生きることだと思います。

 

人生という、長いようで短いこの行において一番大切なことは、この堅くて厚い心の殻を突き破ることなのではないでしょうか。私利私欲なく、自分の心を素直に表現すれば、少しずつ周りの人にその真心が伝わっていきます。そうしたところにみんなの幸せが見えてきます。