自分を疑うことの価値

今の会社に来て数年。ここ最近明確に感じたのが、タイトルにある自分を疑うことの価値です。というのも、あくまで私から見た印象ですが、会社のメンバーは誰も自分の言動を反省したりという姿が見られません。それどころか、自分ってもしかしたらここが駄目かもとかそういうことすら感じたことがないように見えます。

いや、実際には1人になった時にめっちゃ反省して言動を振り返っている可能性もないことはないのでしょうが、数年一緒にいてとてもそんな風には見えません。

 

自分を疑わない理由

これってなぜなのかなって考えてみると、人によって理由はさまざまなのでしょうけど、まず自分はとても頑張っているという自己認識があるからということではないかと思うのです。だから、それによって生じる結果については、甘んじて受け入れるしかないと。限界まで頑張ってその結果なのだから、それを否定したりというようには思わないのではないかと考えました。

一所懸命なのはわかるけれど

もちろん、誰もが目の前のことに一所懸命なのはわかります。自分なりに精一杯やっているから、自分なりに限界まで頑張っているんだから仕方がない、そんな風に思ってしまうのも仕方のないことかもとおもえないこともありません。

でも、一所懸命になれるほど目の前のことを頑張っているのなら、それだからこそ本来は自分の言動を振り返って、改善をしていくべきです。自分の精一杯、一所懸命を疑って、己の言動を改善していく、せめてその意志を持つことが大切だと今は思います。それが成長するということだと思うのです。

ただ、それは簡単なことではないとは思います。私自身、言うほどそんな風に己の言動をいつも改善できていたわけではありませんから。

そんなことを考える時間すらない

もう1つ可能性としてあるだろうことは、毎日が忙しくてそんなことを考えている暇もないってことかもしれません。みんな毎日忙しそうで、自分を省みるなんてもう何年もやっていないのかもしれません。

 

自分にできることをやる

そんなことを最近考えていて、なんだか無駄にイライラしたりしてしまっていました。まあでも、自分が彼らをそんな風に言えるほど立派な人間かと言うと、それはそんなことは全くありません。過去も今も、自分の言動がベストなんてことはなかったわけです。

そう考えると、人それぞれ欠点もあるみたいな考えでまとめて、気楽にいくのが一番かなと思いました。もっと自分を疑って、個々人を、会社を改善していこうよなんていったところで、何かが変わるとは思えません。それは今の自分の立ち位置的にそんな説得力を持った言葉になりえないということも要因です。

だから、自分を疑うことについて啓蒙するなんてのはもってのほかです。いま私がやるべきなのは、他人がどうではなく、自分がやるべきだと思うこと、やりたいことに集中する、それでいいのかなと思います。そうして、少なくとも自分だけは、このような状況の中で何をすべきだったか、だから今からどうすべきか、そういうことをしっかりと続けていこうと思います。